千日紅

日常ぼやいてます。

へ? 実は お習字

自分勘違いしてた。この前一級と書いたのだけど実は忘れてた初級やった。笑笑。

 

で久しぶりに行ったのだけど実は、

 

段が上がった。

 

2段になっていた。

 

信じられない。

 

私が2段?

 

字が汚いと小学生から言われ続け

 

中年になってこれはいかんと、

 

習い初めた。

 

まっ事何事もすぐ飽きてしまう正確だが、

 

ある部分では長い。

 

耐え忍ぶとすぐ止めることは正反対なのにね。

 

習字については10年は経ったかな。

 

10年で2段かい。

 

みたいなことも思われるだろうけど、

 

どう思われようがしらん。

 

 

仕事や生活をやりながら習い事を続けるのは指南の技。時間もモチベーションも保つのが大変だ。

 

師匠が良かったのだと思う。

 

めっさ頑張って練習してきても訂正の朱色が入り、

 

メラメラし

 

やり直し

 

やり直し

 

凹む。

 

わたしにとり根気よく指導して下さり悔しいと思っていることが

 

それが継続の秘訣であり進捗の秘訣と思う。

 

目標がすぐ達成すると、

 

すぐ飽きる自分がいる。

 

だからこれでいいのだ。

 

習字に関しては全く嫌じゃない。

 

楽しくてしょうがない。

 

それに筆が大きければ大きいほど、書くとこころがスッキリする。

 

気持ちいいのだ。

 

 

ぐーの半分ぐらいの筆と大人の人間が寝たぐらいの大きさの紙これがめっさ気持ちいい。

 

兎に角2段が嬉しい。

 

あっそれと最近わかったことがある。

 

そう最近。

 

穂先を下にして上げてちょっと止まると墨が下に落ちて来て、次の動作をする時濃くでることがわかった。

 

何故かここで科学みたいなことになった。

 

うおおおおおお。

 

だから止まるのだな。この現象を知った時ドーパミンがびゃーーと出た気がした。

 

めから鱗だ。スキップしたくなる。

 

パヒュームの最近の歌の踊りをやりたくなる。

 

兎に角楽しい!

 

 

でもこの前6級になった小文字が上手くいかん。

 

かな文字に至っては全く駄目。

 

はっきり言って向いてないと思う。

 

でもこのままやあかん。どうにかしないと。

 

指先の繊細さが問われる。

 

あと真っ直ぐ書くバランス力が無いみたい(笑)

 

かな文字に限っては

こうなったら練習する時に化粧バッチリするんけ!と逆ギレ。←怒っとる。(笑)

 

小文字練習して時は

 

こないだ横道それて、手本の中にでてくる作者の文がどんな意味なんだろう。作者はどんな人だったのか、この文はどんな意味なんだろう。どんな気持ちなんだろうと本屋に行ってその関連の本を読んでいる。

 

読んで行くうちにその人物像を妄想して脳内が映画上映している。そんな横道みちすけ。みちすけは言いたかっただけ。

 

繊細なおしとやかな女性にはなれません←断言!

 

 

でも習字は上がりたい。

 

字は人物を表す。

 

人格者じゃないから無理っす。

 

でも悔しいから上がりたい。

 

先日、ずっと書いた習字の半紙の山積みが気になって気になっていたが。

 

判明した。

 

字は人物を表す。

 

新聞にパソコンの活字じゃなくて自分の字よ。

 

自分の全部を知ってもらいたいんだな。

 

本当に自信の現れなんやろな。買ったよ。

うちの新聞は別だもの。

 

是非その思いだけでも、その人に届くといいなあ。

 

 

で、その文字を書いてる筆どんなんかな?

 

メーカーはなんかな?

 

と筆の端のシールを凝視するがわからなかった。

 

高いのかな?

 

墨汁は市販かな?

 

墨すったのかな?

 

色は何かな?

 

手は汚れなかったのかな?

 

何で上手くかけたんかな?

 

知り合いの人に習ってるんかな?

 

自分墨するの好き。

 

でも時間なくていつも墨汁だけど

 

小筆を使う時はすってる。

 

この墨をする方法もウンチクがあるのだろうなあ。

 

このすってる間が精神統一となり背筋を伸ばさざるおえない。

 

筆や硯、墨、紙、文鎮に関しても品質がありウンチクがあるのだろう。

 

深みにハマればそれまたこだわるよね。

 

いかんせん自分にはそういう高級品は分不相応だ。

 

まだまだ。

 

中身が伴わなければ外側だけ繕っていては恥ずかしい。

 

突如水前寺清子さんの歌を歌い出す。

 

 

自分はまだまだだ。

 

 

ところで先日上司と休憩時間重なってちょっぴり私語した。

 

前はおかしな変なおじさん扱いされていたのに、アツシファンの上司が歌うまいもんねって前言ってくれたし、

 

今日はさんづけでサラッと読んでくれていた。

 

こっちは生放送のたびにTVの前に張り付き心臓をバコンバコン言わせながら、祈りに似た汗をかきながら緊張をしながら一喜一憂しているのに。見終わるとどっとし、寿命が縮まってる気がしている。

 

こうをそうし、さんづけで敬意をしめしてくれたことはとても嬉しい。

 

だが音楽番組を流してたよでも、出てなかったよんと。←はは早かったもの。

 

その上司のゆうことは極力御意と申したい。

 

カドカワ読んでいる。

 

いいことばっかり書かれている。

 

批判が一つもない。

 

当たり前か。

 

この本薄くないか?

 

もっともっと応援したり見守ってる人は膨大だ。

 

昔ケンカしたあの人ある雑誌に辛い時認めてくれてたよ。

 

カドカワを読むとじーんとしてくる。

 

TVでド派手なことをやったり、

 

面白い仕草をしたり表面ばかり観てしまう。

 

現に職場の20代の子たちは面白おじさん扱いになっている。

 

でも、TVを観てる人で今知らない人が少ない。

 

TVのいち部分だけみてる人は、部屋の中に骨董屋さんみたいに難しい膨大な本を積み上げ、希少価値が高い骨董を並べているなぞ知る余地もない。

 

lT時代と言いながら昭和平成令和をかけ活躍し作詞作曲をし歌いその原動力がこれらの膨大な書物及び文化にふれ、ああ書物は自国だけじゃなくてそれを長年に渡り読んできた中から出てくる言語。そういうところはTVでは微塵もみせない。

 

TVではわからないことが私生活の趣味の部分はないけど、カドカワでは音楽の部分で他者評価で読み取れます。

 

カドカワさんに載っているのは極一部のかただけで

もいっぱいみて来られた方や口には出してないけど見守ってこられているでしょう。

 

おごらずいばらず感謝をわすれないでいて欲しいと思います。